立春

ほんの少し早いですが明日は節分。そして明後日は立春。

紀元前の中国で制定された暦の一つに二十四節気というものがありますが、日本ではそれを江戸時代の頃に採用、今も半ば忘れられたように残っており、その二十四節気の中に春の始まりとして立春があります。

さてその立春の前日が節分というわけですが、立夏であろうと秋分であろうとその前日はみな節分です。

ではなぜ二月三日の節分だけはみな騒ぐかということですが、それは大きな一区切り、一年の終わりと認識していたようで、日本では節分といわずに「年越し」という地方もあるようです。

私はこの立春から一年が始まるという感覚が好きでして、まぁ普通の人よりピントがずれているせいかもしれませんが、ともかく明後日からすべてまっさら。春とともに地からまた昇ってゆきたいと思います。

一月一日に立てた一年の計を明日までには考え直すこともできます。

祝賀の言葉を言えない人も、明後日には春です。「寒中見舞い」といわずにもう少しで春なのです。

今年は皆様が穏やかに過ごせますよう、祈念申し上げ、賀状にプリントした印影をここに載せます。

Img055_2 「福巨 福、巨(おお)し」 3×3cm 2009年12月 刻

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国宝 土偶展

先週、ただいま公開されている「国宝 土偶展」を鑑賞しに東京国立博物館へ行ってきました。

土偶は埴輪と違い何を意図して作られたものかはいまだ解明されておりませんが、その歴史は13,000年前の縄文時代草創期に遡り、大らかな人や動物の姿を表しております。

岡本太郎画伯、ピカソ等が魅かれたのも頷けますが、今回の展覧会に居並ぶそうそうたる土偶を見入っておりますとただ一言。「パワフルでほんわか」に尽きる思いがし、この力と心の大きさこそが現代を生きる人々に必要ではと、ふと思いました。

会場を出てから感想を述べることは能わず、言えばなおさらちぐはぐなこととなってしまうことが怖く黙ったまま。

それほどに強い衝撃を受け、また心の天井が高くなったようですが、こんな感銘を受けた展覧会は久しぶりですし、滅多にあることではありません。

2月21(日)まで。よろしかったら縄文の風を感じませんか。

Cimg0127_2 ※ 博物館のチラシをここに載せることもできませんので私が所蔵する縄文土器片をお見せします。

昭和30年代半ばに盛岡で出土したもの。写真の中央、白っぽいものは土偶の欠片と思われていますがこのようなものではなく、土偶展では国宝・重文が並び、完品に近いものが多く、皆さんも教科書等で一度はご覧になったであろうものも出展されています。

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野へ、山へ。

昨日、侘助の花を描きたく13年ぶりに神代植物公園へ行ってきました。

昔、その時も侘助を描き個展に出しましたが墨だけの簡素な表現。今度は色を施す試みでスケッチをしようとしたのですが、気が乗りません。

不思議と、奇妙に触手が伸びないのです。

日も暖かですが、心はどこか嘘寒い。

ほうけ、空を仰ぎながらあの時の自分を探りましたが答えはすぐにわかりました。

13年前あたりからスケッチするものを山野に求めるようになっていたこと。つまり人の手からなる人造風景に飽き足らなくなり、また一種の虚しさを感じていたようです。

山神に手を合わせて踏み入り、偶然に出会う命とその織りなされる景色。

収穫がなくてもそれはそれなりに学ばさせて頂くものもありますし、運よくスケッチをすることが出来ればそれに対し感謝の念で「描かさせて頂きます」と頭を下げ、「ありがとうございました」と手を合わせて鉛筆を仕舞う。

そのようなことが身に染みついた自分には据わりが悪くなってしまったようです。

春はまだ遠し。また野山へ赴くためにリハビリをしつつ花の咲く日を待つこととします。

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